いやあ、今度という今度はSNS何もない。米もきれた。しかもガスコンロがダメになり、煮炊きができん。卵焼すら作れん。レンジで作る茶碗蒸しも飽きた。しかも具なし。もう何にも残ってない。冷蔵庫は調味料だけ。まさにないない尽くし。さあ、どうするよ?コンロが買えるその日まで、米が買えるその日まで、鍋と炊飯器が待ってるぜ。
「執着」を捨てることは難しい。気がつけばそれに包(くる)まれている。「執着=苦しみの始まり」なのだ。執われから得るものは、苦しくて哀しいものばかり。昔の人はそんな時、お経を唱えたものらしい。 だがそれで解決するのか?根本的解決にはなるまい。しかし、経文の意味を知り、無心で唱えたなら、仏と一身になり違う方向性と閃きを見出だせるかもしれない。「パチンカーΑ(エース)」…かの梁山泊より強く、テレフォンセックス店の遠隔操作にも負けない、最強のサスライ野郎。もちろん人間。負け続けのお父さんの傍に立ち、ドル箱を山積みにさせ、又あるときは奥様にそっと手を添え、ブランドバックをゲット。
ありがとう、Α(エース)。
くだらなねぇな、オレ